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INTERVIEW

中村鶴松さん「無理やりにでも自分を追い込んで、成長していきたい」

歌舞伎界には「部屋子(へやご)」という制度がある。一般家庭に生まれた子役が、歌舞伎俳優の下に入門し、芝居や踊り、礼儀作法などを学んで一人前になっていく。十八代目中村勘三郎に目をかけられ、勘九郎、七之助とともに“3人目のせがれ”として研鑽を積み、今や中村屋一門を支える中村鶴松も、その一人。2021年の八月花形歌舞伎では『真景累ケ淵(しんけいかさねがふち) 豊志賀の死』では主人公とも言える新吉役に抜擢されるなど、人気に加え実力も評価されている存在だ。そんな鶴松が、6月5日に浅草公会堂で「鶴明(かくめい)会」と銘打った初の自主公演に挑む。

「鶴明」は歌舞伎界で「革命」を起こすというメッセージ

役者さんへの出演交渉、裏方さんへのお願い、チラシやチケットの作成や印刷、稽古や本番に向けた諸々、すべての経費と準備一切合切をすべて自身で賄うのが自主公演だ。歌舞伎俳優とは言え27歳の若者、計り知れない覚悟がいるだろう。それは、たった1日だけの公演の問題ではなく、歌舞伎俳優として改めて背負うものの大きさに対する決意表明でもあるからだ。自主公演に選んだ演目は中村屋の家の芸とされる『高坏(たかつき)』と、一般にも有名な名作『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)』。どちらも師である勘三郎の姿が重なる。

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――まずは自主公演の開催、おめでとうございます。

ありがとうございます。皆さんにそうおっしゃっていただくのですが、なんだか不思議な気持ちです。公演が終わったわけでもありませんし、出来が悪くては何の意味もないものですので。会をやるだけなら頑張れば誰でもできることですから。とは言え、先日、高校時代の友達が「観に行くよ」と連絡をくれたんです。彼とは久しく連絡を取っていなかったし、歌舞伎も観たことがないんですけど、聞けば「夢は自主公演をやること」と僕が言っていたのを覚えてくれていたんです。うれしかったですね。そのころから口にしていたと思うと、ようやく開催できるという感慨もあり、しっかりやり遂げて、お客様に「良かった」と言っていただけるものにしなければと気が引き締まります。

――自主公演のためにどんな準備をされてきたのですか?

自主公演はすべてを一人でやらなければなりません。浅草公会堂を予約したのは1年前で、抽選には一人で行きました。抽選番号も早い方ではなかったのですが、たまたま空いていたのが6月5日。5日は勘三郎さんの月命日なので勝手に御縁を感じていました。

正直に言えば、僕のような者が自分の会をやっていいものかという思いもあるんです。でも27歳ですからそんな悠長なことも言っていられない。勘九郎、七之助の兄は、もう僕の歳のころには大きな役をバンバンやっていらっしゃる。自分で場をつくって無理やりにでも追い込んでいかなければと思ったんです。それに兄たちに相談すると「やりなさい」と背中を押してくれました。公演が決まって相談に伺った俳優さんや裏方さんの皆さんも「チャレンジしなさい」と応援してくださる。本当にありがたいことです。

――「鶴明会」というお名前を考えたのはどなたですか?

勘九郎の兄です。

――お、うれしいですね!

はい、でも「手数料取るよ」って (笑)。「鶴」は鶴松から取り、「明」は勘三郎さんの本名である「哲明」からお借りしたものです。いつまでも勘三郎さんに頼っていてはいけないのですが僕らのスーパーヒーローですから。そして歌舞伎の家ではなく、普通の家庭に生まれた僕が歌舞伎の中でもっとも大変であろう『鏡獅子』に挑むことができる。歌舞伎界に「革命」を起こす、新しい風になるというメッセージが込められているんです。

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――『鏡獅子』は前々から挑戦したいと夢見ていた演目で、『高坏』は中村屋のお家の芸といっても過言ではありません。つまり鶴松さんは相当な覚悟をお持ちなんだと想像がつきます。

『鏡獅子』は自主公演でやりたいと決めていました。子どものころから、何があっても死ぬまでに絶対にやりたいと思っていたんです。だから夢が叶う喜びとプレッシャーが同時に湧いてきます。『高坏』は本当は歳を重ね、もっと古典の松羽目物などをいろいろ経験した上でやるべき演目かもしれません。けれど中村屋が守ってきた演目ですし、どうしてもやりたいと思ったんです。

――『鏡獅子』の方から、どんなふうに考えていらっしゃるか教えていただけますか。

NHKの密着番組で勘三郎さんが30歳のときに演じられた映像があるのですが、身体の線が見えるように裸で稽古したり、本当にすごい準備をされているんです。先日稽古用の衣裳を借りてきたら、裾に鉛を入れられるようになっているんですよね。また本番も出の前から汗がバワーッと流れて震えが止まらないくらい。あれだけの名優が相当のプレッシャーを感じるような大変な演目であり、それに挑む凄まじい気迫を感じるんです。

――鶴松さんは『鏡獅子』では胡蝶の精をやられていますよね。

はい、勘三郎さん、勘九郎さんが小姓弥生をやられたときに。勘三郎さんは特に凄かったです。身長は僕と同じぐらいで大きくはないんです。でも歌舞伎座の空間を役者の力だけで制圧するような感じがありました。「もっと近づきなさい」と言われるんですけど無理なんです。僕は勘三郎さんの『鏡獅子』は誰も敵わないと思っています。そう思うと直接教わりたかった。

これは中村いてうさんから伺ったのですが、僕がいないところで「次に『鏡獅子』を教えるのは鶴松」とおっしゃってくださったそうです。だから自分の会では30歳の勘三郎さんに1ミリでも近づくために踊りたい。真似ではなく「自分の味を出せ」と言われることも多々ありますが、今回は自分が感じたままに踊るつもりです。ご宗家には稽古をつけていただくときに「今まで『鏡獅子』をできている人を見たことがない。せめて将来につながるような踊りをしなさい」と言われています。一生のうちに何回踊れるかわからないですし、終わったときに後悔したくないので、自分の想像する『鏡獅子』を踊るつもりです。

――『高坏』はいかがでしょうか。

これは一生やっていきたい演目です。自分の目指す将来像への第一歩になるのではと思います。勘九郎の兄に言われるのは、ユーモラスな下駄のタップが注目されがちですが、そうではなく、花見に来て、お酒に酔っ払いつつ桜の景色を楽しんでいる様子をお客様に伝えること、その景色をお客様にも見せることが重要だと。ただ自分が楽しまなければお客様も楽しめません。2ステージしかない自主公演で楽しめるとは到底思えませんけど(苦笑)。勘九郎の兄に5月から稽古をつけてもらうのですが、一生懸命な姿を見せるのではなく、余裕を持ってやらないといけないという思いがあります。

勘三郎さんの威光に頼らない役者人生の第一歩に

希代の名優・勘三郎の部屋子になったのだから、嫌が応にも注目を集めてきた鶴松。ネット上にもいくつもインタビューが載っている。「うちの部屋子になってくれよ」「歌舞伎界の戦力になってくれよ」など、勘三郎に期待の言葉を掛けられてから17年が経つ。


浅草公会堂前、十八代目中村勘三郎さんの顔を模した「鼠小僧の像」。勘三郎さんが「江戸歌舞伎の芝居小屋を浅草に立てたい」という夢を語り、実現したのが「平成中村座」。平成12年11月初演時から浅草で上演を重ね、歌舞伎ファンのみならず多くの観客を魅了してきた。他界された勘三郎さんを偲び、多くの方々からの募金で「平成中村座発祥の地記念碑」とともに、この「鼠小僧の像」が建立された。

――勘三郎さんが亡くなって9年になりますが、どんな思いをお持ちですか?

亡くなったときは心情的に一番しんどかったけれど、目標とする役者としては歳を重ねるごとに大きさ、偉大さを感じます。もし勘三郎さんがお元気だったらそれなりの役をやらせていただくことができたでしょう。もしかしたらすでに『鏡獅子』もやらせていただいていたかもしれないし、貪欲に自主公演をやろうともしなかったかもしれません。けれど、いつまでも勘三郎さんの威光に縋っていてはいけない。「3人目の息子だ」と言っていただいたからこそ尊敬だけでは追いつけない、「超えてやる」ぐらいの気持ちで精進していかないといけないと思っています。

――「心で芝居をしなさい」とことあるごとに言われたそうですね。その意味はどう捉えていらっしゃいますか?

これも年々わからなくなってきています。自分では大切に演じているつもりですが、それも伝わらなければ意味がありません。「心で芝居をしなさい」は一番シンプルで、役者のすべてだと思うんです。それができたら苦労しない。でもその意味がわかる日が来るのかもわからない。でもそういうものなんだと思います。だから時には台本を逆から読んでみたりもしています。

――逆から?

それは中村獅童さんに言われたんです。獅童さんもそれくらい悩まれたのだろうし、それくらい必死になってみろというメッセージだと思います。また今年のコクーン歌舞伎でご一緒させていただいた笹野高史さんが初日の前にLINEをくださって、「もうわからな過ぎてゲロ吐きそうです」と返信したんです。そうしたら「いいじゃないか。ゲロ役者か、それが役者の楽しさだよ」と。20代の前半までは「楽しい」だけで舞台に立ってましたが、今は苦しさなどいろいろな感情が入り交じる様になりました。

ーー改めて6月5日をどう迎えましょう?

皆さん言うんですよ、「一回やってみたらいろいろ見えてくる」「周囲のありがたみ、応援してくれるお客様への感謝がわかるよ」と。そのくらい思うように行かないことが多いのでしょう。だからまずはやってみるしかない。歌舞伎役者の偉大な先人たちが挑戦してきた演目に自分が挑戦させていただける感謝、でもおこがましいと言っているだけでなく「魅せてやるぞ」という気持ちも持ってがむしゃらにぶつかっていきます。苦労を経験してこそ役者として成長できると思うんです。


中村鶴松(NAKAMURA TSURUMATSU)

1995年 3月15日生まれ。東京都出身。2000年5月歌舞伎座『源氏物語』の竹麿で清水大希の名で初舞台。2003年『野田版 鼠小僧』の孫さん太の演技が注目を集める。2005年5月、10歳で十八代目中村勘三郎の部屋子となる。 歌舞伎座『松竹百十周年記念 十八代目中村勘三郎襲名披露 五月大歌舞伎』で、「菅原伝授手習鑑」車引の『舎人杉王丸』、「弥栄芝居賑」猿若座芝居前の『中村座役者鶴松』、「梅雨小袖昔八丈」髪結新三の『紙屋丁稚長松』の3役で「二代目中村鶴松」として初舞台を踏んだ。

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Stage Information

中村鶴松自主公演
「鶴明会(かくめいかい)」

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日時:2022年6月5日(日)11時開演/16時開演
会場:浅草公会堂

お問い合わせ:サンライズプロモーション東京
TEL 0570-00-3337 ※平日12:00〜15:00

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