黒澤明監督の名作「生きる」(1952年)を、英国でリメーク。ノーベル文学賞作家で英国に帰化したカズオ・イシグロが脚本を手掛けて話題だ。監督は、南アフリカ出身のオリヴァー・ハーマナス。
米アカデミー賞の脚色賞にもノミネートされ、惜しくも受賞は逃したが、黒澤監督が戦後復興期の日本で問いかけた「生きることの意味」を、イシグロは見事に現代風に〝翻訳〟した。
舞台は第二次世界大戦からの復興途上にある英ロンドン。がんで半年の余命宣告を受けた市役所の市民課長、ウィリアムズは、生まれて初めて生きることの意味を求め、住民に要望された公園整備の実現に奔走する。
大筋は、黒澤監督の〝原作〟通りだ。ただし、黒澤監督の「生きる」には復興の時代の熱気が吹き荒れている。その熱量、騒々しさ、風俗は、これが同じ日本だとは現代人には到底信じられないほどだ。
イシグロは、そこを静かな筆致で英国に置き換えた。基本的には、彼が抱き続ける「戦前戦後の英国文化に対するあこがれ」を描いたのだという。時代の熱気を閉じ込めた黒澤監督の「生きる」とは、正反対の「生きる」が出来上がったが、静かなトーンの映画に生まれ変わったことで、リメークを超えた個性を持てた。静けさの中から「どうすれば、生きていると実感できるのか」という主題がくっきりと立ち上がる。
誤解を恐れずに言えば、おそらく現代人には、黒澤監督の原作より、はるかに見やすいだろう。
主演のビル・ナイは、そんな静かな作品にうってつけの配役だ。目をむき、口をあけた志村喬が黒澤監督の「生きる」に必要だったように、中折れ帽にストライプのスーツ姿で静かに語るナイは、イシグロとハーマナス監督の「生きる」の世界観を決定する。
そしてイシグロは、市民課の新人職員を登場させる。いわば狂言回しだが、この若者の視点を加えたことで、イシグロの「生きる」は、黒澤監督の「硬直な組織への批判性」に代わって、未来への希望が添えられた。ささやかな希望かもしれないが、それこそが、ウィリアムズが生きていたことの大きな証なのかもしれないし、同時にコロナ禍などで苦しめられている現状に必要な要素なのだろう。
米スタンダードナンバーなどを交えた劇中音楽も洒脱(しゃだつ)ですてきだ。
文/石井 健(産経新聞社・文化部)
Information
『生きる -LIVING』
3月31日(金)全国ロードショー
原作:黒澤明 監督作品『生きる』
監督:オリヴァー・ハーマナス
脚本:カズオ・イシグロ
音楽:エミリー・レヴィネイズ・ファルーシュ
製作:Number 9 F
出演:ビル・ナイ/エイミー・ルー・ウッド/アレックス・シャープ/トム・バーク